あぁ

まさかこんなに完全に焼失してしまうなんて…………。行事のたびに出かけることはよくあったし、正月と中秋の宴と首里城祭にもよく訪れた。カメラやレンズのテストがてら撮りに行くこともよくありました。
色々とショックではあるんだけど、木造建築でスプリンクラーが設置されていなかったというのもショックだし(あったら全焼は免れたかというと微妙ではあるけど)。焼け落ちる状況が刻々と中継されたのもなかなかショッキングな映像だったね。
ネットの論調の中に過去4度も全焼しててまた5度目の全焼ってどういうことだ的な意見が意外に多くてむしろ驚いてるんだが、回数だけを拾ってみたんだろうね。1453年と1660年・1709年それと太平洋戦争中の1945年なんだけど、1945年のは米軍にやられたんだし空襲で焼かれた城なんて日本中に数多ある。ソレ以前のもほぼほぼ戦(やソレにまつわる混乱)によって焼けているので、それをもって燃えやすいなんて言うのはまったくナンセンスなんだよね。ソレを言ったら江戸城も同じだけ燃えてるしね、何度も大火に見舞われてるところに首都機能や政府機関を置くのはどうなのか?ってことになる。(ちなみに大概の城も明治以降に焼けてコンクリート化してる。っつか意外なほどある)ただね、丘の上で年中風が吹き上げる場所だから、そりゃあ燃えれば全焼になるよねという教訓は十分に得られるわけだから防火対策は十分にしておくべきだった。
ボク自身も熊本城の天守閣から一番近い小中学校で授業中も窓の外を見れば天守閣がどーんと見えてる環境で育ったんで(天守閣から何人がこっちの方を見てるか判別できる距離だった)震災で熊本城が崩壊したときの喪失感は十分あじわったし、今回の首里城ショックも理解できる。地下に本物の首里城の遺構があるんできっと鉄筋コンクリート化は基礎工事の問題で無理だろうとは思うが、再建時にはしっかりとした防災対策と周辺で渋滞が起きない駐車場を望みたいところだ。

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